Birdlandの感想

ワールドツアーのラスト一週間。
世界的ロックスターであるポールのカタストロフを追った物語だ。

冒頭の時点でポールは既に狂って"いる。従って狂っていないポールを我々は知らないのだ。
一見するとまともな精神状態とも取れるポールも静かに、密やかに狂っている。

序盤からポールは数字と統計をもっともらしく会話の中に羅列し他人より優位に立とうとする。立ち位置もほぼ舞台装置の上で、相手を見下すことを体現している。ただ、メンバーであるジョニーはそんなポールの扱いに慣れているようで、唐突に「桃が食べたい」と言うポールをうまくあしらう。
熟れていなくてはいけない、熟れ過ぎていてもいけない、痣があるのはいけないと桃ひとつ取っても面倒臭さを遺憾無く発揮するポールだが、ジョニーはポールを気分良くさせたまま桃を食させることに成功する。唯一の理解者であるジョニーの彼女を寝取ったことからポールの破滅が始まるのだ。
ただ正直、マーニーも大概だと思うが。
ポールに自分との関係をバラすと脅され自ら命を絶つくらいなら、何故ポールの元へと行ったのか。ジョニーと体を重ね、あの人は寝たら起きないと言いながらポールにも抱かれたというのに。

ラストシーンで描かれたマーニーとの会話。彼岸の向こうにいるマーニーと彼岸の淵を覗き込んだポールと。
演者の手によって動かされる多角形の舞台装置は少しずつ数を減らし、最後はポールが乗ったひとつを除いてすべてが黒で覆われる。
元々、流氷のように配置されたこの舞台装置はポールが追い詰められていく様を表していたのではないかと思う。
元は平らで亀裂ひとつなかったはずのポールの心が、人間関係がひび割れ離れ減っていく。
最後に唯一残された場所に立ち、自分がトリガーを引いたがために彼岸へと自ら旅立ったマーニーとの会話でポールは強い決意を持ち、
辛うじて立っていた足場から、暗転と同時にポールは地面へと落ちる。
スタンッと暗闇に音を響かせポールが足をついたのは彼岸か現実か。恐らくこれは、観る人によって捉え方が変わることだろう。数秒後に照明が点くと、ポールは落ちた足場に腰を掛け、膝に肘を置いて下を見詰めている。
カーテンコールで顔を上げてもなお、ポールに捕らわれたままの表情を見せる上田は客席を眺めて何を思うのだろう。(日によってはカーテンコールで笑顔を覗かせることもあるそうで、それを聞いて少し安心をした)

この座組はとても相性が良い。きっと最後の最後まで繊細かつ大胆に変化を続けるのだろう。一度でも3次元の者に心を奪われ、その存在を消費する立場になったことのある人には鋭く刺さる舞台であった。

中丸君の楽しい時間4の感想

まず始めに。
東京グローブ座ほど少し気になるという理由だけで足を運びやすい劇場はない。改めてそう思う。
このコロナ禍において客席数を半分にまで落としての販売にも関わらず当日券が手に入るのだから。少しの時間と根気を費やすことを厭わなければ。

中丸君の楽しい時間4と題されているように、中丸雄一のひとり舞台である。言わずもがな、あのKAT-TUNの中丸雄一だ。
日曜日の朝の情報番組の顔しか知らない人が観たら驚くであろう中丸雄一が満載の舞台であった。

舞台は楽屋から始まる。
「4」という数字を病的に忌み嫌う中丸がシリーズ4作目の舞台に立ちたくないと駄々をこねる。ファンの間では中丸が4を嫌っているということは周知の事実であってもファン以外には分からないために冒頭から置いてきぼり感を感じずにはいられない。ふうん、そんなに嫌いなんだ?程度なのだ。
ラストの「物事の見方を変えれば世界は変わる」「4から産まれたのだから」までの最初の伏線であるから最初は置いてきぼりでも構わない訳だが。

続いて披露される中丸得意のヒューマンビートボックスはさすがだ。素人目に見ても凄い。なにが凄いのか分からないが凄い。今までに中丸が披露してきたものと違う新しいビートを刻んでいたように記憶している。映像とHBBが相まって中丸雄一が大渋滞で、中丸自身はここで笑いを取ろうとしていないのは分かるのだが、あまりにも中丸雄一が中丸雄一過ぎて思わず笑えてきてしまった。

全体的に見ればこの「4」は前作に限りなく近い。あえてのオマージュなのか、1年半前と気になること、やりたいことに大幅な変化がなかったのか。「3」のクオリティがあまりにも高過ぎたために過剰な期待をしてしまっていたのかもしれない。

自身の出演番組のパロディーは終始キレキャラで、見ている方が疲れてしまう。ふざけ倒した内容の映像と中丸扮する共演者ふたりに突っ込みを入れ続けるのだが、あの家事の番組のパロディーならば適度に緩く進行するところも見てみたかった。ただ、中丸の女装は可愛い。

リミックスアルバム、アテレコ、場面転換も兼ねたマネージャーとのやり取りと、以前見た感が否めない。笑えるがインパクトが弱いというか。全くの新規向けに構成されたのであろうか。

構ってちゃんな影とのやり取りも少々テンポが悪い。間延びしてしまっているのだ。その後のダンスと映像と照明が素晴らしければ素晴らしいほど、影との追いかけっこは短い方がいい。それに中丸が覚醒するきっかけがスカジャンなのも納得がいかない。確かにバースデープレゼントにマネージャーから送られたものだがそんなキレるほど大切にしていたか?と。
前回の覚醒のきっかけである苔玉は毎朝のルーティンで欠かさず水を与え話し掛け、宇宙空間に放り出されたときに酸素を供給してくれた命の恩人だった。流れがまったく同様である以上、比較せずにはいられない。

映像、照明チームあっての舞台。勿論、中丸の思い描く世界観があってこその出来なのだが、両チームに助けられた舞台だったと思う。押し寄せる光と音はやはり劇場でしか体感できない貴重なものだ。終盤はかなりの体力を消耗していると思われるが、中丸らしい身体の使い方は最後まで美しい。
カーテンコールの最後の一瞬まで中丸雄一を堪能できる舞台であった。


※敬称略

Endless SHOCK 20th Anniversaryの感想

SMGOの理想を掲げているくせに周りは見えていない。いや、見ようとはしていない。
カンパニーの看板役者が理想を語れば周りは頷くしかない。カンパニーを引っ張る実力のある人間はそれだけで正しい。この世界では、実力は説得力と同等である。だからコウイチは正しいのだ。
しかし、タツヤも正しいことを言っているのには違いない。違いないが力がない。実力が足りない。だから傍若無人に振る舞っているように見えてしまうのだろう。
この物語のトリガーはタツヤであるが、狂者のように引き金を引きまくるのはコウイチなのだ。

正論と正論とのぶつけ合い。
冷静なコウイチと激切なタツヤ。。白と黒。このふたりは確かにライバルであるという説得力がタツヤにはあった。

この場面が第二幕の狼狽や悲嘆と言った堂々巡りの葛藤で苦しむタツヤとの対比をより際立たせる。

コウイチが死んだと知ったタツヤが子供のように泣くのだ。負けん気の強いタツヤが。それはまるで、あの屋上でコウイチにダンスを教えてくれとねだった頃のようだ。きっとコウイチには出来るダンスが自分にはうまく踊れずに、悔しくて悔しくてコッソリと涙を流したのではないかと容易に想像出来る。


上田竜也は舞台向きだと心底思う。
舞台向きの細やかで繊細な表情が多く見られるからだ。逆に言えばテレビ向けではないのだ。でも、それはそれで上田竜也の魅力なのだろう。その魅力をとことん突き詰めて欲しいと思う。





私の感想はここで終わっていた。

もう一度観劇の機会があることだし、他の役者や細かな感想はその後で記そうと考えていたからだ。

2020年2月28日より公演はストップをした。そしてその後、全公演の中止が発表された。
私の入った公演がくしくも千秋楽になってしまったことが残念で仕方ない。

またいつか、同じカンパニーで再演されることを願いつつ、未完のままの感想を綴っておこうと思う。

必ずいつか、会えると信じて。



※敬称略

泣くロミオと怒るジュリエットの感想

感想を書くに辺りまず確認しておきたいのが、ウエストサイドストーリーはロミオとジュリエットにインスパイアされたミュージカルだということ。
演劇好きな人ならば当然知っていることと思う。

今作は題こそロミオとジュリエットになぞられているが、どちらかといえばウエストサイドストーリーに寄った作品といえるだろう。作・演出の鄭義信もパンフレットの中でそう語っている。


舞台はとある戦争から五年後の、とある工場街。


説明は無くとも立ち並ぶバラックと登場する傷痍軍人とでそれと分かる。その中でも説得力、という意味で決して外せないのがキャピレットのリーダー、ティボルトの内縁の妻ソフィアを演じた八嶋智人の存在だ。オールメールの座組において圧倒的な存在感と説得力を遺憾なく発揮していた。

八嶋智人との出会いは1997年、シアターグリーンでの鈴木の大地だった。それから何度も八嶋智人の出演する舞台を観たが、器用な役者だなという印象しか無かった。しかし今回は違う。勿論、器用だからこそだろうがシリアスとコメディの緩急の付け方が抜群で驚かされた。そこにいるのは大阪のオバチャンそのものであった。

そしてもうひとり、ひときわ目を引くのがベンヴォーリオ役の橋本淳。感情を剥き出しにし、声を荒らげすぐに手が出るキャストにおいて、冷静で理知的な立ち位置でガチャガチャとした乱闘シーンの中での清涼剤。
第1幕で好いた人がいると匂わせていたが、第2幕でそれがロミオのことではないかと観客にそっと気付かせるニクい演出に涙した。オールメールの作品において、あえてゲイを匂わせる意図は?と勘繰ってしまうのは悪い癖か。


戦争、人種差別、人種抗争、心と身体に傷を負った者、苦しみから逃れられない者、苦しみを共に背負おうと決心する者。
時代に翻弄されながらも誰もが皆必死でもがいているのにどうにもこうにも噛み合わない悲劇。誰ひとり救われないままに幕を下ろした。


ラストシーン、結ばれることの無かったロミオとジュリエットの純白の衣装と、全身黒ずくめで黒い傘をさしたベンヴォーリオ。そして降り注ぐ真っ赤なものはヴェローナを焼く炎の火の粉か炎に照らされたカーバイトか。
先程までの怒号飛び交う命を根こそぎ奪う乱闘との対比で、より哀話を際立たせていた。



※敬称略